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ストーリー、新着情報

2024年10月8日

寄り添い救うセラピストのお話

「私ね、4歳の時に両親が離婚したの。父が再婚するまでは、他の人の家に預けられて育ったの。」

 

彼女の幼少期は、想像を絶する内容だった。

 

産みの母は恋人と消えた。

父親は優しく愛情深い人だったが、男一人で娘を育てるには限界があったのだろう。

 

彼女は幼少期、そのほとんどの時間を他人の家で過した。

常に邪魔者扱いされる日々。

 

「この子ちっとも笑わないし、愛想もないから可愛くない。」

 

3軒の家を渡り歩いたが、心を許せる家庭はなく、居場所はなかった。

 

預け先の大人には、無理矢理腕を引っ張られて暗いガレージに閉じ込められたり、

髪の毛を捕まれて浴槽に頭を突っ込まれたり、虐待されたこともあった。

 

でも彼女は‘お父さんに心配をかけたくない’と、

毎日膝を抱え父の帰りを待ち続ける日々だった。

 

 

辛い環境にひたすら耐えていた。

 

彼女は学校でも居場所がなかった。

小学校に入学すると、上級生からの陰湿ないじめにあった。

 

「でもね、私をいじめてた子達。最後は謝ってくれたのね。

そして家に来るよう言われたの。

私も言われるがまま、いじめっ子の家に行ったのよ。

そしたら、家が荒れていたの。

 

あぁ、この子たちも家庭に何かを抱えているんだなぁ。

って。

気が付いちゃって・・・。

 

人に預けられた経験があるから、私は人の本質を見抜くって言うのかな。

上辺だけで相手を見れないの。

 

大人の嫌な部分もたくさん見てしまったから。

 

いじめっ子の家に行ったことで、誰かに嫌なことをされたり、傷つけられても、相手の立場にも立ってみる癖がついてしまったの。

 

この経験なくして、今の私はないかな・・・。」

 

彼女はどこか、遠くを見るような目でそう語った。

 

 

そんな彼女に新しい母が出来たのは、彼女が9歳の頃だった。

 

育ての母は実子が3人居る離婚経験者だった。

一番下の娘さんはまだ18歳。

 

彼女は子供心に、

‘私はこのお姉ちゃんや、お兄ちゃんたちからお母さんを奪うんだ’

‘お母さんを守らなきゃ。’

 

やっと子どもらしく、甘えられる存在であるはずの新しい母に対して芽生えた感情は、

守ってもらうではなく、守らないといけない

というものだった。

 

とは言え、新しい母と父との生活は彼女にとって、やっと安らぎを感じられる時間だった。

 

そんな親子3人の暮らしを脅かしたのは、産みの母だった。

 

彼女が6年生の時。

 

「中学生になる進学祝いを持ってきた。」

そう言って、突然産みの母が家に来たそうだ。

 

物心つく頃に居なくなった母が目の前に居る。

彼女は動揺した。

そして気が付くと、産みの母を拒絶していたそうだ。

 

「いりません。」

祝いの品を受け取る事はなかった。

 

娘に拒絶された産みの母は、その日から、狂ったように彼女を脅迫していく。

 

連日ドアを叩き、「娘を出せ、お前なんて死んでしまえ。」

そんな暴言を浴びせられたそうだ。

学校の行き帰りも生きた心地がしない日々。

 

いつ彼女に危害が加えられるか分からない状況の中、両親は彼女を京都にある育ての母の姉の家に避難させた。

 

実の母から浴びせられた脅迫の言葉達は、彼女の心を深くえぐった。

避難先での記憶は曖昧だそうだ。

もう大丈夫という安堵感と、私は生きていてはいけない存在だという自己否定の繰り返し。

小学6年生の彼女にはあまりに辛すぎる経験だ。

 

その後、両親も仕事を変え、京都に引っ越しをし、また家族3人の暮らしが始まった。

 

 

「あの子から目を離してはいけない。」

 

避難先の叔母が、迎えに来た育ての母にかけた言葉。

 

彼女は、生きる意味、生きる価値を見失いそうになっていた。

ふっと消えてしまいたい衝動も確かにあったそうだ。

 

そんな時、彼女は人生の師と仰ぐ人物と出会う。

 

座禅を組みに行こうと母に誘われて行った寺の和尚さんだ。

 

和尚さんは彼女の心の儚さを読み取り、学校に行く前に寺のお勤めの手伝いをしないかと誘ってくれたそうだ。

 

朝のお勤めの後。

お茶を頂きながら、一服する。

その時、彼女の傍らには和尚さんがただただ居てくれた。

 

この‘ただ居てくれる’という寄り添い方。

 

和尚さんとのこの時間が、彼女にとって救いになった。

 

そんな彼女が中学3年生の時。

父親の勤め先が倒産した。

同じタイミングで、母の皮膚癌が見つかった。

そして彼女には高校受験が待ち構えていた。

 

彼女は好きな美術の道を諦め、すぐに稼げる商業科に進学した。

 

生きる為に働かなくてはならなかった。

 

猛勉強の末、公立の商業科に合格し、簿記などの資格を取り、卒業後は信用金庫で働き出した。

 

手に職を就け、やっと彼女に幸せな人生の風が吹いたと思いきや、そこには彼女が新しい家族を作るまでの波瀾万丈が待っていた。

 

 

20代の頃。

彼女には婚約者が居た。

 

しかしこの婚約者には交通事故の慰謝料として抱えた借金があり、結婚出来ないと言われる。

彼女は意を決して彼と一緒になって借金返済の為に働いた。

しかし、借金も残りわずかというタイミングで、またしても彼から「君とは結婚出来ない」と言われる。

 

実は彼には離婚歴があり、3人の子持ちだったのだ。

彼女に交通事故の慰謝料といっていたお金は、子どもたちへの養育費だった。

 

「負い目を感じながら生きたくない。」

そんな理由で別れを告げられ、結婚は破談になった。

 

彼女は彼からのその言葉をただ受け入れた。

 

「自己肯定感が低くて、怒ったり、恨んだりというより、私はこんな扱いをされる人間なんだ。仕方ないな。って諦めてたかな。」

そう彼女は微笑んだ。

 

その後、勤め先の会計事務所で数件縁談話を持ちかけられるが、すべて

‘家庭環境が悪い’

という決めつけで破談になった。

 

当時の履歴書は、自分自身の情報だけでなく、家族についても事細かに記載するものだった。

必然的に、父子家庭で育ち、母は実母でないことを勤め先の人たちは知ることになる。

 

縁談を持ちかけられると、

 

「でもあの子の家はややこしから。」

 

そう上司がお相手に告げる。

 

「ややこしい家の子はちょっとな。」

 

そんな風に言われたそうだ。

 

 

彼女は落胆した。

未成年の頃は、家庭環境で差別されることが普通だったし、その環境から子どもの力で抜け出すことは不可能で、ただただ受け入れるしかなかった。

しかし、努力して資格を取り、彼女自身誰に見られても恥ずかしくないように生きてきた。

それなのに、ここに来て家庭環境で差別を受けることに、愕然とした。

 

そんな彼女は、後に夫となる男性と出会う。

そして、彼の両親からこう告げられる。

 

‘結婚反対だ。

親の愛情もらって育ってない子が子どもなんて育てられない。’

 

「今までの人生で一番の全否定だった。」

彼女はそう振り返る。

 

更に結婚前に、彼女の両親に多額の借金があることが判明する。

寝耳に水の話だったそうだ。

彼女は借金の肩代わりも考えたが、弁護士からの説得もあり、両親を自己破産させる手続きに入った。

 

そして彼の両親からは、結婚詐欺だと罵られたそうだ。

 

一度は白紙になった結婚の話だったが、彼がそれでも結婚すると決めて、彼女たちは夫婦になった。

 

「この嫁は子どもも、ろくに育てられないような人間だ。」

義両親からそんな目で見られる日々の始まりだった。

 

そして借金返済のやり取りの中で、彼女は実家とも疎遠になっていった。

 

両親の借金問題を解決するために必死に動いていた時、彼女は心底疲弊していた。

 

「おそらく20代には見えなかったと思う。」

彼女は目を細めつぶやく。

 

そんな時、また彼女は新しい師と出会う。

友人のお母様でもあるお茶の先生だ。

友人に誘われ伺ったご実家で、お茶の先生と彼女は出会う。

 

初めて見る茶道の世界。

すべてかキラキラと輝いていて、美しかった。

そしてその中でお茶を点てる先生の凜とした姿。

 

「私はお茶の先生にすっかり魅了されたの。」

 

 

気が付くと彼女は毒を吐き出すように、今自分が置かれている状況を先生に告白していたそうだ。

 

先生はただ聞いてくれていた。

 

「当時、私の心の拠り所だった和尚さんは既に他界されていたの。

ただ寄り添い聞いてくれる先生の姿が和尚さんと重なり、私、泣いてしまったの。」

 

事情を知った上で、先生はお茶の教室に彼女を誘う。

しかしお金のない彼女は、着物も用意出来ない状態で通えませんと言ったそうだ。

すると先生が、

「あのね、白い靴下とスカートはいて、お茶菓子代だけ持ってきたらいいのよ。

一服する場所が必要でしょうに。」

 

そう言ってくれたそうだ。

 

お茶の先生は彼女の第二の心の拠り所なった。

 

彼女がどれだけ辛くても、忙しくても、自分に時間がかけられなくても、身だしなみだけはキチンとしようと思うのは、このお茶の先生からの言葉があるからだ。

 

「あのね、口紅はいつも引いておいてね。そしたら見る人も、自分自身も気持ちがいいから。」

お茶の先生は、彼女に生きる作法を教えてくれた存在だった。

 

その後、彼女は一女一男に恵まれる。

「お前に子育ては無理。」

常にそう言われ、義父母に監視されながらの育児。

 

居場所が欲しくて望んだ家庭のはずだったのに、そこにも彼女の居場所はなかった。

そんな環境の中でも、彼女は必死に子どもたちと向き合っていた。

 

そして息子さんが3歳の時、自閉症と診断され、彼女は障害児の母になった。

 

彼女は当時の心境をこう語る。

「目の前が暗くなる感覚だった・・・。

私も、息子も、普通の人なら開かれた可能性の中で人生を謳歌するけれど、

私たちは障害児とその母として、限定された道を歩むしかなくなる。

その現実がとても辛かった。

 

息子のそれまでのパニック発作は障害を持っていたからで、私の育て方に問題があったわけじゃないと分かったことは少し肩の荷が下りたけれど、

これからの人生どうなるんだろうと、目の前が暗くなったわね。」

 

息子さんが1歳8ヶ月の時。

検診で、医師から

「この子はおかしい、お母さんちゃんと育てないとダメでしょう。」

と言われた時には、‘やっぱり私が悪いのか‘と自分を責め、

義両親や夫からも

「お前の育て方が悪い、やっぱりお前に子育てはムリだ。」と散々言われ続けたそうだ。

 

家族はだれも息子さんのケアを手伝ってはくれなかった。

全て彼女が抱えていた。

 

専門機関や専門家に支援の手を求めたが、

結局、我が子の幸せな人生の道しるべを示してくれる人はおらず、ただ色んな選択肢だけが並べられ、

「最後決めるのはお母さん。」

と判断を委ねられた。

毎日のケア、進学の決定。

身体も心も彼女は限界を迎えていた。

 

そして彼女は鬱になり、3年間の投薬が始まった。

 

 

 

もしこの時に、寄り添い一緒に考えてくれるような支援者がいたら、きっと彼女はそこまで追い詰められなかっただろう。

なにが正解か不正解かも分からない中で、沢山の選択を迫られる。

 

散々人格否定をする夫や義両親も、言うだけで一切手伝ってくれなかった。

 

「一度義父と娘と息子と出かけた事があったの。

その時、外出先で息子がパニックになり暴れ出したのね。

私は必死に息子を抑えながら、パニックの原因を取り除こうと対応していた。

 

ふと目をやると、義父は娘を連れて遠くで他人のように私たちを見下ろしていたの。

 

このときに感じた怒りを私は一生忘れない。

私は今でも、見て見ぬふりをする人間が大嫌い。

 

多分、パニックになってる人が居て、手助けする方法が分からない。

そう思うのも分かるのね。それはいいの。

でもね、一声かけて欲しい。

 

大丈夫?

なにか手伝えることある?

 

その一言で良いの。

普段口では偉そうに言っていても、いざ困っている人を見て歩み寄れる人は本当に少ない。

 

本当に少ないのよ。」

 

彼女は怒りか悲しみか分からない感情をおさえながら、淡々と、しかし強い口調で強調した。

 

「見て見ぬふりが、私は一番嫌い。」

 

そう言わせるだけの経験を沢山してきたのだろう。

 

 

彼女は息子さんが養護学校に進学した頃、土日を利用して結婚式場のホールのパートを始めた。

 

子どもたちの為に少しでもお金に余裕が欲しかったからだ。

 

とは言え、息子さんの状態を見ながらだったので、満足には働けなかった。

 

「この頃私はずっと頭を下げていたように思う。

いつも謝って、床ばかり見ていたわね。」

 

 

そんな時、彼女は心の拠り所であるお茶の先生にこう言われる。

「あんなにも薬嫌いのあなたが薬を飲むなんて、本当にしんどいんやね。」

その言葉で彼女はハッとする。

‘私はなんでこんな大嫌いな薬まで飲んで生きてるんだろう’と。

 

 

義母の言葉が頭の中で蘇る。

「精神科?いいんじゃない?先生話聞いてくれるんでしょ?薬も飲んでたらいいやん。」

 

 

散々否定され、

散々侮辱され、

散々罵られても、歯を食いしばってやってきた。

 

誰も助けてくれなくても、二人の子どもを守り育てるためならと生きてきた。

 

でも、そうじゃない。

本来はそうじゃない。

私の求めた家族はそうじゃない。

こんなにやっても報われないのに、

なぜ私はこんな想いをしてまで薬を飲んで耐え続けなければならないのか。

 

「薬、やめます。」

 

彼女は主治医にそう告げていた。

 

 

「副作用のない薬だから安心して。飲んでおいたほうがいいよ。」

医師はそう言ったが、そんなはずはなかった。

 

服薬を忘れると、幻覚やめまいに襲われる。

副作用なのか、病気の症状かは分からないが、

薬で抑えていても結局根本的に解決しないと感じていた。

 

薬に変わる拠り所を探していた彼女が出会ったのがヨガであり、レイキだった。

 

ヨガとの出会いは偶然だった。

彼女にはお茶の先生からのオススメで、たまに覗く好きなギャラリーがあった。

そのギャラリーが閉店して残念だと思っていたら、ヨガ教室としてリニューアルオープンをしていたのだ。

 

彼女はたまたま少しの自分時間に、導かれるようにそのヨガ教室に行き、そこでレイキヒーリングも出来るヨガインストラクターと出会う。

 

それは体験レッスンでのことだった。

 

最後のシャバーサナの時、なんだか不思議な感覚になった。

何かが体の中を流れている。

心地良い。

 

「先生、何か今流れた感じがしたんです。すごく不思議だけど気持ち良かった。何かしました?」

 

そう言うと、先生は嬉しそうに教えてくれた。

 

「これレイキって言うんです。

宇宙のエネルギーを自分自身がパイプ役になって相手に与えるんです。

触れなくても出来るんですよ。」

 

この触れなくても出来るという言葉に彼女は飛びついた。

 

‘触れなくてもいいなら息子に出来るかもしれない。’

 

「もし私が健常者の親なら、きっとここまでレイキに興味はなかった。

目に見えないもの?

宇宙?

怪しさ満点だもの。

 

でも、もし本当に目に見えないエネルギーがあって、

それを触れなくても相手に与えられて、

心地よかったり、体も元気になるなら、子どもたちに使いたい。

そう思って、私はレイキを扱えるように、そのインストラクターの先生に教えてもらって、息子と娘にレイキを始めたの。

それが始まり。」

 

そして彼女自身もヨガとレイキを受けながら、少しづつ自分の身体も心も健やかになっていくことを感じていた。

 

そして一大決心をする。

 

ヨガインストラクターになる。

 

ヨガインストラクターになるには、時間もお金も必要だ。

家事、息子のサポート、仕事。

両立出来るだろうか。

いや、しなければならない。

 

人生を変えたい。これしかない。

しかし、夫が賛成してくれるとも思えない。

 

彼女は家族の中で唯一の味方である娘さんに想いを打ち明けた。

「ママはヨガインストラクターになりたいと思ってるの。

 

ママはママの人生を変えたい。

 

今しかこのチャンスはないと思っている。

もしかしたら、パパに反対されるかもしれない。

その時、ママはパパと別れる決断をするかもしれない。

それでも、どうしてもやりたいことなの。」

 

すると11歳の娘さんは

 

「もしパパが反対したら、私が説得する。」

 

力強く背中を押してくれたそうだ。

 

「私は今までどんなに辛くても、子どもたちが成人するまでは離婚しないと決めていたの。

片親は子育てが出来ない。

そんな世間の固定概念で、自分たちを図られて決めつけられてしまう。

そんな‘親が親なら子も子’という決めつけの連鎖を私の代で終わらせたかったから。

 

でもこの時だけは、離婚してでも人生を変えたいと想っていた。

それほどまでに突き動かされていたのね。」

 

 

結局、

「家族に迷惑かけないならいいよ。

お金も出さない。

家事も育児もお前の仕事。それが出来るなら行ったらいい。」

 

夫からそう言われ、彼女は資金集めに翻弄する。

 

ヨガインストラクターになりたい。

それにはお金が必要だ。

 

そう決断したら、次々仕事が舞い込んだ。

ご縁のあったカフェのオーナーさんからは、スタッフが産休に入るから手伝って欲しいと連絡があった。

結婚式場からは、カフェのお手伝いの仕事も任せたいと連絡が来た。

 

人間、やると決めて行動したら、そうなるように運気も向いてくる。

ありがたかった。

そして無事に資金が貯まり、彼女は約1年かけてヨガインストラクターの資格を取った。

 

 

ヨガのインストラクターになってから、はじめは自宅で少人数にレッスンをすることから始めていた。

そんな時に、ご縁のあるカフェのオーナーさんから連絡が入る。

「私がお世話になってる鍼灸の先生が、素敵な院を持ってて、そこでヨガもさせてもらえるかも。お話聞いてみない?」

 

そここそが、ヤマナカグループのyamanaka34だった。

 

新大宮の駅前にあるビルの5Fに、その院はあった。

エレベータを降り、ビルの一室とは思えない重厚なドアを開けて、中に入った。

 

そこは空気が違った。

置かれてあるものも、空気も、聞こえてくる音もすべてが丁寧に作られ、大切に扱われ、心地よかった。

 

お茶の先生に教えて頂いた‘いいもの’を見る目。

ここは‘いいもの’が溢れる場所だと彼女は感じた。

 

「ここでヨガをしたい!その直感で、わくわくしか感じなかった。」

 

そう彼女は当時を振り返った。

 

レイキの先生にレイキを扱えるようにしてもらった時、彼女は3つのキーワードも同時にもらうことになる。

 

①自分が整った時に場所が与えられる

②手の力

③神道

 

その言葉がフラッシュバックした。

「yamanaka34に入った時に、ここが私に与えられた場所だと思ったの。」

 

そして、日曜日しか働けないという彼女の意向をくんで、同じく日曜に勤務しているカイロプラクターの原田先生と一緒にお客様を迎えることになった。

 

あるとき、彼女は原田先生からカイロの施術を受けた時にこう質問された。

 

「昔誰かに腕をむりやり引っ張られて怖い想いした経験ない?」

 

幼少期に預け先の大人達から受けた虐待の経験を思い出し、一気に怖い経験がフラッシュバックし、彼女は号泣してしまう。

 

‘記憶は蓋を出来るけれど、体に刻まれた経験は消せないんだな。’

 

そう実感する出来事だった。

 

そこから彼女は原田先生に懇願し、手技を教えてもらう。

原田先生が人生における第三の師となった。

 

手の力。

大きなキーワードの一つ。

彼女はこれを手に入れた。

 

Yamanaka34での日々は楽しいだけではなかった。

特に彼女は息子さんを預けながら働く日々。

まだまだ常に誰かに頭を下げ続けながらも、与えられた場所でヨガをしていた。

 

娘の同級生のママから、子どもを見ずに働くなんてかわいそうだと言われたこともあったそうだ。

自分ではどうしようも出来ない環境で、心くじけそうになることもあったが、3年は絶対続けると彼女は頑張った。

色んなことがありながらも、彼女はyamanaka34の空間でお客様にヨガをさせて頂けることを感謝した。

 

ヨガのインストラクターになってから、彼女は色んなご縁を引き寄せられるようになった。

 

生徒さんに勧められて取ったエステのディプロマ。

エステを商売にしようと思っていなかったが、その後友人から使わなかったからとエステをするのに必要な道具を引き取ることになり、

 

生徒さんから「受けたい」とリクエストを頂き施術するようになった。

 

ヨガの最後にアロマを使ってメンタル的なアプローチをしていたら、生徒さん達が体調や感情で選ぶアロマが違うこと。

ある程度法則があることに気が付いた。

選ぶアロマでその時の体調や感情を言い当てる彼女に、生徒さんから

「今度開催するイベントで、アロマのカウンセリングをやって欲しい。」と依頼を受けた。

そこから私もやって欲しい、私もやって欲しいと口コミで広がり、彼女はアロマリーディングという武器も手に入れた。

 

ヨガ、レイキ、エステ、アロマリーディング。

色々な技術を身につけながらも、彼女は技術だけでなく、お客様への寄り添い方や対話も大切にしている。

 

それはある女性との出会いと別れが大きく影響している。

 

「彼女は、昔からの生徒さんであり、友人でもあった。

彼女は家庭の事情で子どもたちと引き裂かれそうになっていたの。

 

そのタイミングで私に会いたいと連絡をくれた。

 

一通り話を聞くけれど、私の頭の中には「もう後がない」という言葉しか出てこなかった。

 

「絶対一人にはならないでね。実家に帰るなり、とにかく一人にだけはならないで。」

 

そう伝え、彼女と別れた。

 

彼女は私と別れた日の夜、自殺をしたの。

 

彼女との時間、もらった言葉、与えられた言葉。

 

死とはなにか。

なぜ生きるのか。

人生ってなんだろう。

 

それからね。

 

私は人と会ったら、もう2度目はないかもしれないという気持ちで話をする。

お渡しできる言葉は余すことなく伝えておく。

 

言葉は言の葉。

沢山の言葉に傷つけられ、

沢山の言葉に救われた。

 

私の発する言葉にも力がある。

 

言葉は簡単に出るものだから、発する方は忘れることもある。

しかし受けた方は人生を変えるような言葉になるかもしれない。

体に刻まれ忘れられないほどの傷になることもある。

 

私は自分自身の言葉に責任を取る覚悟を持って、お客様や生徒さんに会いに行く。

目の前の人に全力で向き合うの。」

 

ヨガをする中で、彼女は沢山の心のブロックと向き合い手放してきたそうだ。

 

‘今お客様と対話するときも、お客様の悩みや傷に寄り添いながら、自分の傷を見直し、人生の答え合わせのような作業になる’と彼女は言う。

 

「ヨガやレイキなど、目に見えないエネルギーの話をするとスピリチュアルな人って思われるんだけど、私自身、自分の感覚に落とし込めないと納得出来ない。

 

きっと上辺だけのふわふわしたスピリチュアルだったら、お客様の本当の悩みには立ち向かえないと思うの。

 

色んな傷や痛みって根っこになるのね。

その根っこがあるほど、ふわふわした雲のようなスピリチュアル的なことも意味を持ってくる。

ふわふわした雲だけ追いかけててもダメ。

痛みで根っこばかり増やしてもダメ。

その両方のバランスが必要だなと。

 

自己肯定感の低い私。

もう振り回されたくないし、もう振り回されない。」

 

 

 

レイキを始める時にもらったキーワード。

残りはあと1つ。

神道。

 

このキーワードとどう出会い、彼女は更にどう変わっていくのか。

 

辛い想いや、自分ではどうしようもない問題を抱えているとき。

ただ横に寄り添ってくれる存在はとても大きい。

彼女自身が今までそんな寄り添い方をしてくれる師たちの力で救われたように。

彼女は今日も誰かに寄り添い

 

「疲れましたね。ここで一服して休んでください。」

そう誰かを救う言葉を発し続ける。

 

 

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