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ストーリー、新着情報

2024年10月1日

全てはあの手に近づく為に 技術を磨き続けるある鍼灸師のお話

正直僕は半信半疑だった。

 

初めて会うその初老の先生は、いかにも鍼灸師という風格だった。

 

先生は一言。

脈を拝見。

そう言って僕の両手を持ち上げ、両手首に指を当てた。

 

温かい手が触れる。

スッと目を細め、指先に神経を集中しているのが分かる。

 

看護師を母に持つ僕は、少し緊張する。

‘ただ脈拍を測るだけならこんなに集中しなくていいよな。こんな脈から何が分かるんだろう。’

 

先生は目を開き、僕を見てこう言う。

「君、腰が悪いだろう。」

 

‘この人何者だ!!’

この時の驚きと好奇心で僕は鍼灸師になった。

 

 

僕は小学生の頃から大学生までずっと水泳をしていた。

はじめは幼少期の習い事の一環として、連れて行かれるがままにやっていた水泳。

小学高学年になると、本格的に選手コースに進むことになった。

 

他にもサッカーや野球なども習ったが、団体スポーツはどうも馴染めなかった。

自分の頑張りが、そのまま結果になる個人競技の方が僕にはむいていたようだ。

 

中学生になると、腰に違和感を感じるようになった。

最初は寝たら治るという状態だったが、だんだん痛みが増す日が増えていった。

高校生になり、県大会にも出場するほど練習量が多くなると、月に何度も僕の腰は悲鳴をあげだした。

 

分離症だった。

 

見かねた顧問が山奥にある鍼灸院を紹介してくれた。

この鍼灸院が僕が生まれて初めて‘鍼灸’を受けた場所になった。

 

初めて受ける鍼灸。

何をされるか分からない恐怖はあったが、施術後は腰の痛みから解放された。

ただ高校生の僕にとって車でしか行けない遠くの院に通院するのはハードルが高く、一度きりの施術だった。

 

高校時代は県大会で何度か入賞した。

ただ、全国大会にはどうしても届かなかった。

 

高校3年生になり、進路を決めるタイミング。

僕はとにかく‘県外に出たい’という希望を強く持っていた。

そして‘医療系の専門職’に就きたいと希望していた。

 

僕は山口県で生まれ育った。

父母と、祖父母との5人家族。

祖母も母も看護師だ。

親戚にも、レントゲン技師や看護師がいる。

 

僕の周りには医療系の専門職の大人が多くいた。

その影響もあってか、僕もクリニックで働く医療系の専門職を希望した。

 

そして田舎から出たい。外の世界に出たい。そう強く望んでいた。

 

名古屋や大阪の医療系大学を見て回る中で、理学療法士という仕事に出会う。

リハビリを通して、いつまでもその人らしく生活出来るよう支える仕事。

すごく輝いて見えた。

 

僕は数ある大学の中でも、一番居心地が良かった関西医療大学に進学を決めた。

 

関西医療大学では、併願が出来た。

折角受験出来るなら。

そう、軽い気持ちで併願したのが鍼灸スポーツトレーナー学科だった。

 

結果、理学療法士は倍率10倍の狭き門。

見事に落とされ鍼灸スポーツトレーナー学科に合格した。

 

浪人してまで再受験する気になれなかった。

他の大学も改めて見直して受験したいとも思えなかった。

 

‘鍼灸師も医療系だし、行くか。’

そんな軽い気持ちで僕はこの世界に足を突っ込んだ。

 

もし鍼灸師として働くのが嫌なら、鍼灸師の資格を取ってから、改めて理学療法士を目指しても良いし。

そんな考えを持ちながら大学生になった。

 

初めての一人暮らし。

贅沢は出来ない。

奨学金とバイトで生活をしていた。

 

鍼灸の勉強は知らない知識だらけで面白かった。

西洋医学的な医学の基礎知識も、東洋医学の知識も、僕の知的好奇心を刺激した。

 

しかし、鍼の実技は僕に取って苦痛の時間だった。

 

入学してから、学生同士で鍼の練習をしあう。

素人の学生だから仕方が無いが、

練習台になった後は必ず体調が悪かった。

 

僕はどうやら鍼の影響が残りやすいタイプのようで、下手な鍼を打たれると、ダメージも大きかった。

 

痛いし辛い。

 

正直、鍼灸が嫌いになっていた。

 

そんな大学1回生の時に出会ったのが、脈を診ただけで、僕がずっと悩んでいた腰痛を言い当てた初老の鍼灸師改め、大学の外部講師を務められていた古野忠光先生だった。

 

古野先生は古典鍼灸を使う老師だった。

脈で身体の状態を見抜く技術に僕は魅了された。

 

しかもその後の施術に、また僕は度肝を抜かれた。

刺さない鍼で僕の腰痛を緩和したのだ。

 

鍼を打たない

 

そのような接触鍼があることは後々の授業で学んだ。

まだ鍼灸のなんたるかも学び始めたばかりの初学生には常識を覆す技術だった。

 

痛くない、苦痛ではない、優しい鍼灸施術なのに、身体は変わる。

 

そんな鍼灸師になりたい。

僕は鍼灸施術が素晴らしいものだと気付かせて下さった古野先生のような鍼灸師になりたいと心に決めた。

 

古野先生は、‘鍼で人の身体を治すお手本’の存在になり、古野先生が扱う古典鍼灸は僕の鍼灸施術の基礎でもあり、憧れにもなった。

 

学生時代、僕は古野先生の所属する古典鍼灸を学ぶ勉強会に足繁く通った。

そこには古野先生と同じく、脈で身体の声が聞け、触れるだけで身体を変えられる先生たちが居た。

 

僕もその領域に行きたいと必死に勉強し、技術研鑽もした。

 

そして国家資格を取って、いよいよ就職も考えなくてはならなくなった時、僕は古野先生に弟子入りを志願した。

 

しかし、古野先生は今の弟子を最後に新しく弟子は取らないと断られた。

 

仕方なく、僕は就職活動を開始した。

「後々は山口に帰ってきてね。」

両親からは、山口で開業して欲しいと言われていた。

一人っ子の僕も、いつまでも大阪に居られないだろうと考えていた。

 

10年

資格を取ってから10年は大阪で技術も知識も磨こう。

その上で山口に帰って開業しよう。

そう決めた。

 

決めたからには、勉強出来て、給与も良い会社を選ぶ必要があった。

幸運な事に、僕はすごく給与待遇のいい鍼灸整骨院グループに就職が決まった。

 

鍼灸師として臨床デビューは楽しいことばかりではなかった。

勤め先には、グループ院として、問診、施術、接客などなどあらゆるマニュアルが用意されていた。

 

矯正施術や、自律神経調整鍼灸など、やってみたいメニューを学べるのは良かったが、すぐさま上手くなるわけもない。

毎日夜遅くまでの練習の積み重ねで少しづつ技術力をあげていった。

 

患者様への接客も、僕には苦手な分野だった。

もともと話下手でもあり、患者様との会話の盛り上げ方が分からなかった。

 

症状など身体に関する説明は出来ても、普通の会話になると、話題がなくなる。

 

鍼灸師にはコミュニケーション能力も求められるのだと改めて気が付いた。

 

 

四苦八苦しながらも、2年も経つと、技術力も上がり、患者様とのコミュニケーションの取り方もある程度分かって来た。

 

マニュアル通りの仕事が板についてくると、逆に仕事が楽しくなくなってきた

 

マニュアル通りだと、僕の代わりどこにでも居ると思えてくるのだ。

 

僕でなければならない理由がない。

 

僕がいなくても、他のスタッフが同等の施術をする。

 

そんな2年目の時、自律神経の乱れに悩む患者様を担当させて頂いた。

 

問診で話を聴いているうちに、その方がとても心情的に辛い状態であることが分かった。

話をしっかり聴かなくては。

そう思い問診をしていくと、

しっかり話を聴いてくれて・・・」と問診中に泣かれてしまった。

 

 

僕は、一人の患者様に向き合う姿勢をこの方から教わった。

マニュアルでは定義づけ出来ない人と人との向き合い方。

その患者様はそれからずっと僕を指名して通院された。

僕を必要としてくださる方がいる。

その患者様には成長させてもらったと感謝している。

 

患者様と向き合う中で、素の自分をそのままを出すだけじゃダメなんだと気が付いた。

演じるというと大袈裟かも知れないが、

患者様一人一人、その人にあわせて話し方もテンションも変える。

相手が心地よくなるように。

自分がコミュニケーションが苦手なんて言っていられない

 

僕は2年目にして患者様との向き合い方を学んだ。

そして型どおりの接客や施術には限界があると悟った。

 

次のステップに進もう。

僕は転職を始めた。

 

 

転職をするに当たって条件は一つ。

 

学べるフィールドであること

 

たまたま大学の求人を見に行って見つけたのが、ヤマナカグループだった。

 

そこには、沢山の施術メニューがあることが書かれていた。

その中に‘インディバ’という文字を見つけて、興味を持った。

 

たまたま転職について相談していた大学時代の先輩が、スポーツ外傷などのケアにインディバを使っていて、とても良いという話を聞いて、

インディバを扱ってみたいと考えていたところだったからだ。

 

ここなら沢山の技術を身につけられそうだ。

そう思い、面接に行った。

 

面接では、

「じゃあいつから来れる?」

そんな前向きなお話を頂き、いったん胸をなで下ろした。

 

社員ではなく完全歩合制のパートナー制度があると聞き、自分の頑張ったぶんだけ還元されるスタイルに興味をもった。

また後々は山口に帰って開業しようと考えている僕にとって、パートナーとして勤務するのは、開業する練習にもなるし、経営的な部分も学べると思った。

それはとてもありがたかった。

 

「じゃあ、施術してくれる?」

いきなりオーナーに施術をするよう言われてドキリとしたが、精一杯、今自分が出来ることをさせてもらった。

‘第二新卒の採用ともなると、どこまで出来るのか。即戦力が試されるんだな。’そう思った。

 

他にも数社の面接をしたが、ヤマナカグループが一番学べるフィールドがあり、一番自由で、なにより一番型破りだった。

 

 

残りの数年はヤマナカグループで学び、研鑽しよう。

そう決めた。

 

ヤマナカグループはそれまでのマニュアル制度の鍼灸整骨院とは全く違っていた。

基本的に患者様は先生を指名する。

施術にマニュアルはなく、先生達は一人として同じ施術をする人は居ない。

一人一人が自分の持つ技術や知識をフル活用して、目の前の患者様に最適な施術を行っていた。

 

誰でもいいと思ってくる患者様はいない。

この先生がいいと思ってくる患者様ばかりだった。

 

そんな中に入って、僕を指名してくれる患者様を増やすしかない。

僕はがむしゃらだった。

他の先生と何が違うのか、どのような悩みに対応出来るのか、どのような技術があるのか。

自己分析から始まった。

僕が施術をしていて一番喜びを感じる瞬間は、患者様のお身体と向き合う中で、僕のもつ色々な技術を出し入れして、一番ハマるものを見つけた瞬間だ。

 

なかなか取れなかった腰痛に色々とアプローチする中で、足首の矯正をした上で筋膜リリースで関連する身体の箇所の筋膜を丁寧に剥がしていくと、嘘のようにスッとこわばった筋肉の緊張がほぐれた瞬間。

 

なかなか改善しない不眠に悩む方に、頭や背中の関連するツボに鍼灸をしつつ、骨盤内臓器の血流を挙げるように矯正した時に、ふっと肩の力が抜け、‘その夜すっごく眠れた’と喜びの連絡をもらった瞬間。

 

そんな、色んな引き出しを駆使して、その人の楽になるポイントを探り、探り当てた時のハマる感覚。

その感覚が一番嬉しいし、施術家としてやりがいを感じる瞬間だ。

 

そしてその感覚を求めるから、僕は色々な技術を身につけたいと日々好奇心の赴くまま色んな技術を身につけに行く。

 

ただ、ヤマナカグループに来てから、自分の持つ技術だけが患者様満足度に繋がるわけではないと痛感している。

 

人間性

 

この人間性を磨くことがとても大切だ。

 

身体を預けたくなる施術家は、古野先生含め、皆さん人間性が素晴らしい。

触れられた手の感覚から違う。

 

手で読み解く力。

 

手から伝わる力。

 

触れられただけで身体が良くなると思わせてくれる安心感。

 

僕はまだまだ修行が足りない。

古野先生のように、やはりなりたい。

 

 

ヤマナカグループに入ってから、他の先生やスタッフと仲は良いが、プライベートまでどっぷり仲が良いという訳では無かった。

それぞれが独自の道を行くプロ集団の集まり。

 

個人競技出身の僕には、そのほどよい距離感が心地よかった。

 

その程よい距離感をぶち壊してきたのが麻生(先生)だった。

 

彼は、土足で家に入って、‘まぁビールでも飲めや!’となぜか上から偉そうに言ってくるような奴だ。

だけど憎めない。

 

こちらが提示する距離感や雰囲気なんてぶち壊す。

気持ちが良いほどに内に入ってくる。

 

彼がグループに入ってきてから、僕をいじり倒し、ぐいぐい連れ回してくれたお陰で、他の先生やスタッフとも距離が縮まった。

 

飲み会や旅行にも声をかけてもらえるようになった。

 

ヤマナカグループでは、異業種の人たちとも交流する文化がある。

僕も一緒になって、いろんな経験をさせて頂いている。

 

色んな人と会い、色んなことを経験する中で、

若いうちから経験を買うことって大切だなと思い始めた。

 

それまではどこかで、後々の開業資金のこともあるし、それほど物欲が強い方ではないので、稼いだお金を貯めることが多かった。

 

でも、若い時に経験したことは、それをその先何十年も語ることが出来るけれど、

お金を貯めて貯めて、老後に経験したことは、ほとんど誰にも語ることなく人生が終わってしまう。

 

そんな話を聞いて‘確かに’と今では思える。

 

それはヤマナカグループに入って、施術面だけでなく、色んな人との出会いや体験を経験させてもらったから余計に実感出来たことだ。

 

なんだかんだで、そんな機会を得るキッカケをくれた麻生には感謝をしている。

 

 

資格を取って10年ほどは学びと修行期間だと決めて、大阪で頑張っている。

僕は30歳になる。

資格を取って、そろそろ10年目に近づいている。

まだ具体的に開業準備には入っていないが、近いうちに挑戦したいと思っている。

 

ヤマナカグループに入って、‘先生に施術してほしい’と僕を選んで通って下さっている患者様。

そのお一人お一人との出会いが僕を成長させてくれた。

 

先生がいなくなったら困る。

そう言われると、きっと僕はまだまだ大阪で頑張ろうと思ってしまうかもしれない。

まだまだ古野先生の足元にも及ばないかもしれないが、鍛錬を重ね

‘鍼で身体は変わるんだ’という感動を患者様にも味わって欲しい。

 

誰でも良いではなく、僕がいいと言って下さる患者様と出会えるように。

僕は今日も目の前の患者様に全力で向き合っていく

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●「3回目」これまでの施術経過を確認・比較して、最良の方法を考え施術。次回以降の方針説明。
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