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ストーリー、新着情報

2024年7月12日

不器用だけど、愚直な僕のお話

序章)

皆さんはロールパンナちゃんをご存知だろうか。

言わずと知れた やなせ先生の名作アンパンマンの登場人物。

 
メロンパンナちゃんの’お姉ちゃんが欲しい’という希望に応えてジャムおじさんが作った戦士。
だから後から生まれたけどお姉ちゃん。
生まれる時、パン生地にバイキンマンが悪のエキスを入れ混んだために悪の心も持つことになってしまった女の子。
 
正義のアンパンマンチームと、悪のバイキンマンチーム。
きっぱり別れた構図の中で、
正義のアンパンマンチームに属しながらも、悪の心を持ち合わせ、
自分の中の正義と悪にもがき苦しむ異色の存在。
 
救いなのは、悪でも正義でも裏表なく慕い続けるメロンパンナちゃんの存在。
 
人間は誰しもこの二面性を持つ生き物だと思う。
僕自身の二面性は、高いプライドと自信の低さ。
この相反する二面性でいつも迷い苦しみ、失敗しまくってきた。
でもそんな僕を支えてくれる存在が常にあったから、今こうして僕は施術家として、トレーナーとして日々働けている。
これは、そんな僕の施術家物語
ストーリー1)10代
 
どうやら僕は頑固者らしい。
こうと思ったら、誰に何を言われても変えられない。
 
自分の中の正義が出ると、他が全部悪に見えてしまう。
 
その一面は10代の頃から出ていた。
 
スポーツ大好き一家。
三兄弟の末っ子に生まれ、小さい頃から沢山のスポーツをし、またスポーツをする大人に囲まれて育った。
サッカーが盛んな土地で、一つ上の兄はサッカーをしていた。
先輩後輩関係なく名前で呼び合うサッカー文化。
兄が、後輩から名前で呼ばれているのを見て、嫌悪感を抱いた。
 
「チャラチャラしてんじゃねーよ」
 
頑固モード発動である。
 
兄をバカにされたと思ったのか、上下関係の緩さが認められなかったのか。
あの頃から、こうあるべきだと思ったことに対して、違う事があると、徹底的な嫌悪感を感じた。
 
 
『一緒にサッカーしようぜ!お前上手いじゃん。』兄から褒められ誘われたが、僕は野球の道に進んだ。
 
僕は一日中動いていたかった。
座ってする勉強が嫌いで、野球にのめり込んだ。
 
両親は 
勉強出来なくても、元気なら良し
 
という考えで、勉強しろとは一言も言わなかった。
 
本気でプロを目指した野球少年だったが、
高校生になる頃には、プロは無理だと思い、それならばと体育教師をしようと考えていた。
 
とにかくスポーツと携わりたかった。
 
しかし高校2年の三者面談。
担任兼野球部監督である先生から進路希望を聞かれ、体育教師と答えると、
 
「やめとけ」
と言われた。
 
他にも何か理由を言っていたかもしれないが、そこは覚えていない。
 
この一言で、僕は体育教師への道はやめた。
 
両親からは、
先生はそう言うけど、自分の人生なんだから。
 
と言われたが、監督の指示は絶対だった。
ここでも頑固モード発動だ。
 
結局、理学療法士などのリハビリ系専門学校を目指すがほとんど不合格。
その中でアスレチックトレーナー養成専門学校へ合格した。
 
アスレチックトレーナー。
スポーツ選手の医学的なリハビリやメンテナンスをする仕事。
 
’まさにこれだ!’
 
合格してから、逆にこの仕事が自分の理想だと感じた。嫌いな勉強も、この仕事の為ならと頑張れた。
スポーツする人の力になりたい。
 
頑固者でこうと思ったら、意見を絶対曲げない自分だったが、それでも慕ってくれる仲間に恵まれた。
大いに青春を謳歌して、大いに運動して、大いに好きなことに没頭した10代だった。
 
ストーリー2)20代
いざ就活。
 
表には絶対に出さないが、時々出てくる弱気な自分がそこに居た。
もし就職しても、合わなければ辞めれば良い。
色んな道があるんだから。
そう自分を鼓舞していた。
 
就職活動中。
 
’他よりも給与が高い山中鍼灸整骨院という場所がある。一緒に見学行かないか?’
と友人に誘われた。
 
それならばと軽い気持ちで見学に行った。
 
山中院を見て、驚いた。
雰囲気も、来ている人も、先生も他の院とは違った。
 
当時、整骨院は病院のような雰囲気の院が多かった。
来る患者さんもお年寄りがメイン。
院長も50オーバーが多かった。
 
山中院は一階がガラス張りで院内が丸見えだった。
こんなオープンな院は初めてだった。
中に入ると施術スタッフの年齢層が若い。
院長も若い。
 
何より驚いたのが来てる患者さんたちが若い人が多かったこと。
もちろんシニア層も居たが、他の院に比べて若い人が多かった。
 
活気に満ちた院は心地良かった。
 
見学だけのつもりが、そのまま面接をすることになった。
まるで弁慶のようなオーラを持つ阪口先生が、僕のテーピング技術を褒めてくれた。
 
ソワソワした気持ちを隠すように仏頂面していた僕だったが、すごいオーラを持つ先生に褒められて、実は心底嬉しかった。
 
そこから採用の連絡を頂き、あの空間で働けるならと喜んだ。
 
 
実際就職して、社会人一年目。
 
山中院ではダメ出しの日々だった。
 
『君は言い訳ばかりだから、何も言わなくていい。行動で示して。』
 
理不尽なお叱りも山のように受けた。
 
僕の強気なプライドと負けん気に火が付いた。
 
やってやろうじゃないか。
 
誰よりも大きな声で挨拶する。
誰よりも周りの状況を見て動く。
誰よりも早く患者さんの仕草や行動に敏感に反応する。
 
施術技術で及ばないなら、接客で患者さんに喜んでもらおう。
 
患者さんが心地よいかを最優先に。
ここに来るだけでも元気が出るように。
 
接客も施術技術も’しこたま’怒られながら叩き込まれた。
 
そんな日々を支えてくれたのは、患者様たちの’先生ありがとう’という言葉と、休日に行っていたトレーナー業だった。
 
スポーツする人を支えたい。
その想いが膨らんでいった。
 
そして3年目。
僕は山中院を辞めた。
 
理由は3つ
 
①トレーナーとしてもっと活動するために、自分も鍼灸師や柔道整復師という国家資格を取りたいと思ったから。
 
②そろそろ違うことをしたいという、自由を求める心が疼き出したから。
 
③そして、山中院のスタッフにキレてしまったから。
 
 
言っていることとやっている事が違うスタッフにキレ。
患者さんより上司を優先するスタッフにキレ。
不平不満を裏で言うスタッフにキレた。
 
20代前半。
キレっキレのジャックナイフのようだったと自分でも思う。
 
社会に出れば、色んな価値観、色んな事情を持つ人たちの集団で柔軟に働かなければならない。
みんな違ってみんな良い。
でも、白黒つけないと気持ち悪い20代の僕にとって、この
’要領よく’、
’どっちにも良い顔をして’
人と付き合うのはどうしても無理だった。
 
 
患者さん第一
結果主義
言いたいことは面と向かって言う
 
自分はそうあるべきだと思っているし、皆もそうあるべきだと思っていた。
 
自分の中の悪の心を塞ぐためには、徹底的な正義を貫かねばならないように、
僕も潔癖なまでに’正しさ’を求めていた。
 
が、現実社会はそんなに綺麗事では回らない。
僕はブチギレキャラとして山中院を去った。
 
「君は言い訳ばっかりだから行動で示して。」
の言葉通り、
 
僕の中での理由や思考は置いてけぼりで、
僕のブチキレしたという行動だけが、山中院の歴史に刻まれた。
 
 
そこから6年。
学生をしながら、友人のツテで、鍼灸整骨院で働いたり、鍼灸院で働くなど、様々な院で治療をしてきた。
 
そして30歳。
鍼灸師、柔道整復師という国家資格を手に入れた僕は、路頭に迷っていた。
 
 
ストーリー3)30代 前半
 
学生の時は良かった。
苦手な勉強でも、国家試験合格という明確なゴールがある。
そのゴールに向かって突き進む。
頑張りは点数として現れ、正当に評価される。
 
しかし、資格を取り、いざ就活を始めても、全く決まらなかった。
 
色んな院を見て回ったが、どうしても山中院と比べてしまう。
 
山中院を辞めてから、色々な院で働いたが、どこも’何か違う。山中院の時はこうだったのに。’と見劣りする部分に注目してしまっていた。
 
納得出来る就職先が見つからない。
 
30歳。
貯金はない。
でも、当時付き合っていた彼女との同棲話が出てきた。
覚悟せねばならない年齢だった。
 
僕は意を決して、山中オーナーに電話をかけた。
 
「また働かせて欲しい。」
 
ダメで元々だ!そう思い電話をかけたが、山中オーナーは親身に話を聞いてくれた。
 
’こいつが頼るなんて、よっぽどの状況なんだな’と察してくれたようだった。
 
山中オーナーから言われたのは
 
「君はスタッフに嫌われている。だから一年は院内では働かず、往診専門で仕事をしてくれ。
この一年でスタッフの信頼を取り戻せたら、院内での施術にも復帰できると思うから。」
 
 
ヤマナカグループで働く人間は、多かれ少なかれ、山中先生に助けてもらった恩があるという話をするスタッフは多い。
僕もその一人だ。
 
そして一年かけて僕はスタッフからの信頼を取り戻す努力はしなかった。
 
「しなかったんかい!!」
と怒られたが、正確には出来なかった。
 
ここでも仕事モードになると、思ったことは言ってしまうし、誰に対しても自分の意見は曲げずにドストレートに投げつけていた。
 
30歳。
まだまだ丸くはなっていなかった。
 
それでも、自分としては与えられた仕事はキチンとこなしていたし、患者様からの評価は頂いていた。
 
一年後。
山中オーナーは苦笑いしながらこう言った。
 
「まだあかん。まだ嫌われてる。
なぁ、誰かと働くんじゃなくて、自分の院持ってやってみたらどうや。
自分の信念、考えを貫くなら、その道がいいと思うよ。」
 
 
貯金もない、技術にもまだまだ自信もない。
でも、山中オーナーが言ってくれるなら。
そう思い、思い切って地元奈良にある、山中オーナーが所有するビルの一角に鍼灸整骨院を開院した。
 
そして開院してからほどなく。
山中院をまたしても退職した。
 
二足のわらじで自分の院をやれるほど、僕は器用ではなかった。
 
今回は山中先生が与えてくれたチャンスに、しっかり応えたい。
自分の院を成功させる為に、集中したい。
 
そんな理由での退職だった。
 
 

ストーリー 4) 30代後半

 
開院以来。
良いと言われることは何でもやった。
 
広告宣伝費も言われるがままに使った。かもネギ状態に。
 
色々なセミナーにも参加して技術も磨いた。交通費も惜しまずに。
 
儲かると聞いて副業にも手を出して詐欺被害にもあった。
 
 
 
その結果、首が回らない程の借金を抱えた。
 
院の経営は紆余曲折あった。
良いときもあれば悪い時もある。
 
何もかも嫌になり、他人に責任をなすりつけたくもなったけど、
結局自分が撒いた種だと、なんとかしなければと、もがき続けた。
 
 
このとき、自分では’患者様のためだ’と思っていても、
それは’患者様が望んでいることでなければ、ただの押しつけの押し売りだ’と学んだ。
押し売りでは利益は出ない。
 
借金が膨らみまくってから、やっとこの事に気が付いた。
人間は分かっていても、いざその時にならないと学べないものだ。
 
 
患者様が望んでいることをしっかりしなければ。
 
救いだったのが、
山中オーナーや色んな人が色々と一緒に考え、試行錯誤してくれたこと。
 
「近すぎると、またジャックナイフを出してくるから、つかず離れずの距離感でね。」
 
そう言いながら、いつも気にかけてくれていた。
 
そんな中、今来ている患者様は僕の何を求めて来て下さっているんだろうと改めて考える機会があった。
 
僕はアスレチックトレーナー専門学校生時代から、ずっとトレーナー業を続けていた。
色んなチームのトレーナーをさせてもらったが、奈良クラブという奈良のサッカーチームでもずっとトレーナーをさせてもらっていた。
 
自分の院に来てくれる人は、選手や選手からのご紹介や、ファンが多かった。
 
僕は結局、スポーツする人の力になりたいという想いから繋がるご縁に支えられていると気が付いた。
 
選手ではなくても、続けてくれる患者様は皆
 
’いつまでも自分の足で動きたい’
’いつまでの好きなスポーツを続けたい’
 
そんな動ける身体を望んでいる人たちだった。
 
僕は患者様に両親を重ねてしまう。
 
小さい頃から見ていた、動くのが好きな大人達。
 
成長するにつれ、大人になってもスポーツを楽しみ続けられるのは一部の人たちだと実感した。
皆、痛みや痺れや持病などで思うように動けなくなる。
 
年を取れば、運動量も減っていく。
 
老化と言ってしまったらお終いだが、
僕はいつまでも動ける身体を作るお手伝いをして、
スポーツをする人たちの力になりたい。
なるべきだと強く思った。
 
僕自身、じっと机に向かうよりも、動いている方が好きだ。
動けなくなる自分は想像したくない。
いつまでも動いていたい。
 
だから僕は、トレーナーであり、鍼灸師であり、柔道整復師になったんだ。
 
そう思い出してから、院の経営は少しずつ上向きはじめた。
 
施術とトレーニングを組み合わせたメニューは好評だ。
患者様から
「他の院にも行ったけど、治らなかった。痛いけど、先生の施術は効果感じて戻ってきたよ。」
そう言ってもらえることも増えた。
 
動ける身体づくりというテーマを決めて、トレーナーの先生の元で開催されるセミナーにも参加したり、
医療系の勉強会にも参加した。
 
弱気で自信のない自分を奮い立たせるために、
学ぶ姿勢は崩さなかった。
 
そんな時、山中オーナーから「山中院を手伝ってくれないか?」とお話が来た。
 
二度あることは三度ある。
 
三度目の正直で、再び山中院で施術させてもらえることになった。
 
 
 
ストーリー5)今、続く挑戦の日々
 
山中院では、自費専門院として、保険施術を休止するという大変革が行われていた。
そのプロジェクトの一環として、
ヤマナカ健康サロンの立ち上げと運営に力を貸して欲しいという話だった。
 
ヤマナカ健康サロンは、月額制の会費を払えば、毎日通えて、
保険施術のような短い施術が受けられるだけでなく、
ヨガやトレーニングなどの運動イベントも受けられるというサービスだった。
 
「施術もトレーニングも出来る先生に力を貸して欲しい。」
 
今まで沢山頂いてきたご恩をお返し出来るならば。
出来る範囲で。
 
そう思い承諾した。
 
久しぶりのガラス張りの院内は、当時とガラッと変わっていた。
 
人であふれ、先生たちであふれ、活気があった院。
今は上質な空間で、一人一人と時間をかけて向き合い、
痛みを取るのでは無く、痛まなくする予防に特化した院になった。
 
僕はスタッフに愛想を振りまくことも、八方美人にもなれない。
 
ただただ、やれることをやるだけだ。
 
 
40歳になり、振り返れば公私ともに、紆余曲折あった。
 
ただ、ずっと変わらないことは、
 
’先生が居たから、今もこうして動けてるわ。’
 
そう言ってもらえるように常に100%を出している。
 
 
 
 
ロールパンナちゃんは、自分の中で正義と悪の心のせめぎ合いで苦しむけれど、
メロンパンナちゃんの存在で救われる。
 
僕はいつも患者様の存在で救われている。
 
自分の為には頑張れないけれど、
人のためなら頑張れる。
 
 
これから始まる
40代の人生。
 
今まで同様、沢山の失敗と、ちょっとした成功を積み重ねる人生になるだろうか。
 
振り返ったときに、やっぱり患者様に支えられたと感じると思う。
 
そして山中先生始め、ぶつかりながらもより良いものを求めるヤマナカグループのスタッフにも感謝する。
 
 
動ける身体を楽しみ続けていこう。
 
患者様も僕自身も
 
それが僕の人生のテーマだ。
 
 
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初回でほぼ症状が改善してしまうことも珍しくはありませんが、こうして3回続けて経過を聞かせていただくことで、当てずっぽうの施術ではなく、経験に基づいて、患者さまの姿勢・体質、回復力や生活習慣など、お体を不調にしている原因を解明し、より早く改善していくことができます。3回目終了時の体調に合わせ、担当スタッフより今後の施術方針の説明があります。(学生等、予約3回原則に当てはまらない場合もあります。)