ストーリー
しくじり先生って番組あるじゃないですか。
僕の人生も、しくじりまくりです。
自慢できるような成功談なんてない。
だけど、今こうして楽しく元気に働けているのは、ご縁があるからなんです。
僕。いいタイミングで、最高のご縁を呼び寄せる、最強の運の持ち主なんですよ。
運だけは自慢かも。
そんな僕の人生の話。
良ければ聞いて下さい。
・・・・・・・
僕の最初のしくじりは、学生時代に全く勉強しなかったことだ。
しくじったって思ったのは、高校三年生の時。
それまで少年野球の監督をする父に持つ僕の人生は、生まれてからずっと野球人生。
頭の8割は野球。
寝る食う野球の日々。
高校は強豪校に進学出来て寮暮らし。
更に野球だけの青春に拍車がかかった。
最後までレギュラーにはなれなかったけど、野球漬けの日々は何ものにも変え難い僕の青春。
その日々が終わりに近づき、進路決定という現実が襲ってきた。
このまま大学に行っても、全く勉強してこなかった僕は落ちこぼれ決定。
それはなんとしても避けたかった。
それに、野球のない人生は想像が出来なかった。
祖父からは、野球で培った体力、根性、生真面目さを活かして消防士になれと言われたけれど、消防士と野球は関係なさすぎてピンとこない。
そんな時、野球雑誌を見ていたらタイガースのトレーナー募集の記事。
必要資格は柔道整復師。
これだ!と思った。
実は僕は新聞に載ったことがある。
高校の寮でキャプテンにマッサージしてる様子がデカデカと記事になった。
寮では互いにストレッチやマッサージをし合う習慣があった。
今となっては無駄に骨をバキバキ鳴らして危ない素人メンテナンスだが、当時はメンバー同士の絆を深めるのに役立つ習慣だった。
柔道整復師という資格を見て、新聞に載ったキャプテンをマッサージする姿を思い出した。
そして、将来プロになった野球選手をマッサージする自分を想像した。
悪くない。にやけてくる。
これだ!!と思った。
これなら働きながら野球に携われる。
それに、専門資格だから、みんな入学してから専門の知識を学ぶはずだ。
今まで勉強してこなかったハンデは、この資格なら関係ないはず!
そう思い柔道整復師の専門学校に入った。
今まで勉強してこなかったツケは想像に反してしっかり払わされた。
蓋を開ければ解剖学やら生理学。
聞いてないよとは言えないし、途中で投げ出すわけにはいかない。
試験はいつもギリギリ合格。
『勉強してないわけじゃないんだよね。頑張ってるし、真面目さも知ってる。だから、点数がギリギリでも、良しとしましょう。でも、国家試験だけは、採点は普段の素行を知ってる私たちじゃない。頼むから頑張ってくれよ。』
卒業試験でかけられた言葉。
その後の国家試験は合格。先生たち、本当に喜んでくれた。僕よりもほっとしたんじゃないかな。
試験の予想と対策。しっかりしてくれる先生たちのおかげで取れた資格。そんな先生と出会えた僕は強運だ。
卒業後、兵庫の地元で元々お世話になっていた鍼灸整骨院の先生に雇って欲しいと面談に行った。
そうすると、『ずっと地元にいるんだし、一度外に出て経験を積んだ方がいい。』そう言って、東大阪にある山中鍼灸整骨院を紹介された。
地元の先生は、山中先生と同窓生だった。
今まで降りたことのない駅を降り、交通量の多い道を歩く。三階建の立派な鍼灸整骨院。
少し早く着いてしまい、慣れないスーツに汗ばむ手。
落ち着け自分。
とりあえず横のガストで涼んでから行こう。
面談はあっという間に終わった。紹介ということもあり、簡単な経歴などの確認のみ。
じゃあ、春から宜しく。
そう言って頂いたことだけ覚えている。
春になり、無事資格を取り、住む場所も決め、出勤。
初めての社会人。緊張しながらも、根性だけは誰にも負けないという意気込みで職場へ向かう。
院には沢山の先生と、沢山の患者さん。
ベットは常に患者さんが居て、待合のソファーにも常に患者さんがいる。
三階まで地声が響く受付さんたちと患者さんとの賑やかな声。
まずはこの環境になれなければと思っていると、
『ちょっと!松下さん弁天さんに宜しく!』と言われた。
松下さんとは笑顔が素敵な初老のご婦人である患者様。
弁天さん‥‥とは!?専門用語か?業界用語か?
すると奥のベットから、『松下さん!こっちこっち!!』と、手を挙げる先生の姿が。
確かこの先生の名前は弁天じゃなくて阪口先生だったはず。
するとすかさず、『次は大黒さんね!!!』
大黒先生?いや、これは神様の名前だ。大黒さんは誰だ?
だんだん慣れてきた。これは七福神だ。
山中院には七福神がいるのか?
1人パニックになっていると、受付さんがそっと
今日は七福神のイベントなのよ
と教えてくれた。
七福神イベントとは、患者さんがクジを引いて、クジに書いてある先生(神様の名前が割り振られている)の施術を長く受けられるというイベントが行われていた。
一から十まで教えてもらえるとは思っていなかったが、名前も覚えられていない状況で、まさかこんなイベントの誘導を任されるとは。
最初こそパニックになったが、おかげで、先生と七福神名が合致し、逆に覚えやすかった。
賑やかで、患者さんもスタッフも楽しそうに笑顔溢れる院内は、とても心地よかった。
生まれた時からどっぷり体育会系だった僕にとって、先輩を敬いつつ、技を盗み、仕事を覚える日々は楽しかった。
そして何より患者様への施術は本当に楽しかった。
来る日も来る日も何10人もの患者さんの身体を触る。
すると、パズルのピースがハマる感覚。
これで良くなる。そう思える感覚が身についた。
このハマった感覚は患者さんも感じるものだった。
お互いに共有できる、あっ!ハマった!と思える感覚は快感に近い。
『はぁ。先生ありがとう!楽になったわ!』
そう言ってもらえることが増えると、その精度も上がった。
そんな時、分院の院長をしないか?という話をもらった。山中院に来て2年目。
僕は二つ返事で、『やりたいです!』と言った。
考える前に答えは出ている。やらしてもらえるなら、挑戦する。
ただ、この院の経営は、僕が院長になった途端ガタ落ちした。
当時、何もしなくても患者さんが毎日待合にも入りきらないほど来る山中院で過ごしていた僕は、
待っていれば患者さんが来ると思っていた。技術にも自信があった。
分院でも、待っていれば患者様は来るだろう。そう思って、本当に待っていた。
結果。驚くほど人は来なかった。
なぜだ?山中院はあんなに患者さんが来るのに、なぜここには来ない??
本当に分からなかった。
何が課題かも分からなかった。
待つしか僕の選択肢はなかった。
見かねた山中オーナーが、美容が出来るスタッフを派遣してくれたが、それでも経営は好転しなかった。
一年ほど経つころ、僕もきっとオーナーも困りはてていた頃、山中院の先生の1人が、分院を居抜きで買い取って独立したいと言ってくれた。
そして、僕は山中院に戻った。
そのタイミングで中心となる先生が独立されるということで、僕は山中院の院長を任してもらえることになった。
たまたまタイミング的に独立したい先生が居て、
たまたまスタッフの移動があって、
たまたま柔道整復師を持っていて年齢が高いのが僕だったことで、
院長として帰って来れた。
分院の経営を成功させられなかったしくじり経験から、
待ってるだけでは患者さんは来ないと学んだ。
ちゃんと知ってもらうために行動しないとダメなんだ。
そして、患者さんとの信頼関係がいかに大切かも学んだ。
山中院は、患者様に『ここに来たらもう大丈夫って安心感があるわ』とよく言われていた。
そして、信頼してくれる患者さんが、周りで困ってる人に山中院を紹介して口コミで人が集まってくる。
そして、来た人が、さらに口コミで人を呼んでくれる。
地域で、鍼灸整骨院なら山中さんだ。
そう言ってもらえる院に、開院してから先輩先生方やスタッフたちが信頼を積み重ねてくれたからこそ、今の山中院があるのだと実感した。
分院で院長をするなら、分院もそんな風に地域の人の信頼を得る行動が必要だったんだと思う。
山中院に帰ってきて、先輩たちの作り上げてくれたこのブランドに感謝して、そこにあぐらをかかず、『ここに来ればもう大丈夫。』と思ってくれる患者様からの信頼だけは裏切ってはいけないという思いを強く持った。
そこから、院長として毎日忙しい日々を過ごした。
週に一度の休みは地元な帰って少年野球のコーチをしていた。
食う寝る仕事に野球の20代。
お金はそんなにたまらなかったが、感謝される仕事のやりがいと、家族のような職場の人間関係と、怒鳴って終わる休日野球の日々だった。
そんな時、大きな転機が訪れる。
ヤマナカグループは健康保険を休止にする。
山中オーナーの決断だった。
この保険を扱わないというのは、前々から話を聞いていたから覚悟は出来ていたし、実際柔道整復師として、健康保険に関わる事業に携わる身としては、いつからこの変化は来ると思っていた。
ただ、それまで毎日何人の患者さんを施術するかという数を追いかける仕事から、今後は一人一人と、長く丁寧に向き合う時間を過ごすという仕事に変わった。
この時も、僕は周りの人たちに恵まれた。
時を同じくして、山中オーナーは、保守的で排他的な業界はダサい。
横の繋がり、人脈、異業種の社長との出会いで意識も価値観変えよう。
そう言って様々な人との出会いの機会を下さった。
普通なら会えないような人たちとの会話。
それぞれ見ている景色が違う。
そう思った。
いかに自分が固定概念や先入観があるかも知らされた。
一つ一つの話に真面目に聞き入ると、人によっては、その生真面目さは面白くないと言う人もいたが、人によっては、その生真面目さが信頼できると、より深く交流したり、患者様になってくれたり、様々なご紹介を下さるようになった。
もっとハングリー精神で、もっと感情だして、自分からチャレンジしていこうぜ!アグレッシブに!
そう言われて、確かに。とも思うが、なかなか出来ない。
生真面目さが僕の良いところでもあり、課題でもある。
気がつけば、施術をするだけでなく、外に出て色んな人に出会い、仕事を取ってくることも僕の仕事になった。
また、生真面目さが買われ、経理関係の数字を扱う仕事も任してもらえるようになった。
この施術と経理に関しては、パズルのピースがハマるような感覚が得やすい。
これでうまくいくという感覚がある。それがあると、実際うまくいく。
問題は人との関わりだ。
そのパズルは複雑で、なかなかハマらない。
ハマっていそうでズレていることも多い。
だからこそ面白い。
そんな仕事をこなすなかで、僕はヤマナカグループの代表という立場を頂いた。
山中オーナーの右腕とか、参謀のような存在と思っている人もいるが、僕の中ではヘッドコーチに似ている。
監督が出す指示を的確に選手に伝える。
監督が集中出来るように環境を整える。
選手が最高のパフォーマンスを出せるよう関係各所と連携をはかる、
僕は、今まで しくじらせてくれた 山中オーナーに心から感謝している。
普通なら失敗するのか目に見えていたら止めるし挑戦させない。
でも山中オーナーは、
やる気あるならやってみたら?
面白そうやんやってみたら?
ええんちゃう?
そう言ってやらせてくれる。
おかげで僕は しくじる感覚が身についた。
これはいける。これはあかん。
でも、この感覚は天性のもので、山中オーナーに勝る人に出会ったことはない。
だからこそ、山中オーナーの側で働かせてもらえる今の環境を長く続けたいから、僕は毎日ヘッドコーチとして挑戦と実践としくじりを続けている。
普通の鍼灸整骨院ならやれないような経験のおかげで僕の今がある。
特に人との出会いが僕の今を支えてくれている。妻との出会いもヤマナカグループからのご縁だ。
僕は今までやってもらった 人とのご縁繋ぎ を、今度は若手にやっていく立場になったと思っている。
僕は山中オーナーのような、天性の感覚はないが、人とのご縁をここぞというタイミングで引き寄せる強運がある。
この強運をヤマナカグループのみんなに役立てられたらと思う。
自慢できるようなカリスマ性のある姿よりも、しくじりと、しくじりから学んだ話ならいくらでも話せる。
ただ、これを笑って話せる環境で働かせてもらえていることが、本当に感謝だ。
しくじりを怖がる必要はない。
逆に怖がりすぎて動かない方が面白くない。
失敗する中で感覚は磨かれる。
失敗から学べることも多い。
そして、失敗してもお釣りがくるほどの経験値と人との繋がりを得られるような挑戦なら、自信を持ってやるべきだ。
僕はもう野球のコーチを辞めた。
今の僕の人生に、野球はない。
家族が出来、娘が出来たということもあるが、野球よりも のめり込めるほど この仕事が楽しいから。
高校三年生の僕に伝えよう。
信じられないことかもしれないが、野球しなくていいやって思える日がくる。
別に悲しいことじゃない。諦めたわけじゃない。
野球よりも熱中できて、楽しくて、今のチームメイトくらい大切な人たちに囲まれた生活が待っている。
大丈夫。お前は運を持っている。