東大阪・新石切で肩こり、腰痛なら「山中鍼灸整骨院」 東大阪・新石切で肩こり、腰痛なら「山中鍼灸整骨院」

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ストーリー

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2024年7月8日

見た目は弁慶 中身はニーチェな僕のお話

小学5年生くらいのころ先生がボール持ってきて、天体について教えてくれた。

 

太陽系の話。

地球の自転や公転の話。

 

バスケットボールを地球に見立てて、説明する先生。

だけど僕は途中から、バスケットボールのツブツブから目が離せなくなった。

 

『富士山なんて、この粒くらい。』

 

そう先生が言う。

 

先生。ちょっと待ってくれ。

富士山がそんな小さな粒なら、

 

僕は‘ちり’か?

 

そこから僕は、宇宙から見たら ちり のような自分という人間が、存在する意味、その答えを探すようになった

 

その答えは本にも家にも友人にもなく。

僕は視野を外に向けた。

 

自分の世界を広げていこう。
外に出て、色んな人に会う。
出会いの中に答えがあるかもしれない。

 

 

漠然とした感覚だが、10代の僕には十分なモチベーションになった。

 

それから。野宿もした。
日本一周もした。

定期的にやってくる
自分の存在を知りたくなる世界を広げたくなる欲求。

それは中学生になっても。高校生になっても続いた。

 

そして、進路を決めなければならなくなった時。

僕は

 

どこに行っても身体一つで出来る仕事に就く

そう決めた。

 

いつでも世界を広げられるように。
そして、ピッタリなのが柔道整復師、鍼灸師だと知った。

 

資格を取ってから、いよいよ就職先を選ばなければならなくなった。

なんとなく。で選びたくはなかった。

 

選ぶのにも、理由が欲しかった。

 

当時兵庫県に住んでいた僕は、
これから長い施術家という仕事をする上で、1番厳しい所に行こう。

 

 

そうしたら、それから先はどこに行ってもやっていける。

そう決めて、僕は西成の鍼灸整骨院に勤めた。

 

 

社会人一年目。仕事は楽しかった。先輩たちにも恵まれた。

でもある日、急に動けなくなった。頭では理解できている。起きて仕事に行かねばと。

 

でも何か気負いすぎていたのか。
家電が一つ壊れたら、どんどん壊れていくように。
僕もなぜかこの年、試練が次から次へと舞い込んできた。
そんな年だった。

 

このまま動いていてはダメだ。
そう思い、とりあえず休んだ。

1ヶ月。休むことに専念した。

 

 

しっかりと休養して、負の連鎖が終わる頃、羽化する蝶のように、また外に出て行きたいと思えた。

また働こう。

 

 

次の場所は、何を目的に働こうか。
僕は単純に 1番給与のいい場所で働こう と決めた。

 

そして調べた先が辻クリニックだった。

辻クリニックは見た目に厳しく、白衣は上までしっかりボタン閉めて、白靴下、清潔感重視だった。

そんな中、面接で僕は

 

『髭は剃りたくないので、このままでいいですか?』と聞いた。

 

普通なら落とされるだろうけど、辻先生は、面白い!と採用してくださった。

 

 

辻クリニックでは当時、クリニックを基点としてサテライトとして鍼灸整骨院が周囲に展開していく時期だった。

今では医師と柔道整復師との連携などがもてはやされるが、当時は他に類を見ない取り組みで先端も先端だった。

そのキーマンとなる先輩の下で働くことになった。

キーマンとなる先輩は、白でキッチリした清潔感重視のスタッフたちの中で、

 

金髪ロン毛だった。

 

金髪ロン毛と、ヒゲ坊主(僕)。

 

 

治外法権な僕ら2人は、辻クリニックで早朝から深夜まで沢山の患者さんを施術してきた。

1日スタッフ8人で180人近くの患者さんの身体を触っていた。

僕はこの仕事について良かったと思った。
施術が楽しくて仕方ない。

 

体を預けてもらう。体を整える。患者さんは楽になって笑顔になる。

日々施術漬けの生活の中で、この仕事に誇りと自信がついていった。

 

 

不安という感情は、その人も家族も周りも人も蝕んでいく。

施術を通して 安心 してもらうことで、この不安から解放される。

それだけで患者さんの身体は良くなっていった。

 

僕は患者さんに 安心を与えることを心の底から大切にしている。

 

 

辻クリニックの提携整骨院でのがむしゃらな日々。

そんな日々も長くは続かなかった。

目標としている先輩たちが、1人、また1人と卒業し、次のステージに旅立っていかれる。

目指す目標、得られるものが少なくなっていく感覚。

 

そんな中、1番目指すべき金髪ロン毛(もう普通のスタイルになっていたが)の先輩も、独立された。

僕も次のステップに進むべき時だ
そう感じ、退職希望を出した。

 

 

 

次は決めていなかった。開業するか、トラックの運転手でもしようかな。そんな風に思っていた。

そしたら、その先輩から声をかけて頂いた。

『君が一緒にやってくれるなら開業しようと思うんだ。』

ありがたかった。

 

 

最初は砂利だけだったその場所に山中鍼灸整骨院が建った。

 

当時、関西最大級の三階建ての鍼灸整骨院。

 

ただこもって治療するだけじゃダメだ。東京など他の土地にも行って、施術業の先端やトレンドに敏感になり、ここから新しいことを発信する場所にしようと院長と決めた。

 

スタッフは少数精鋭。
院は患者さんで溢れた。

 

院長と僕は辻クリニックの経験から、成功するイメージしかなかった。

だがそこに
居るだけで場が明るくなり、可愛らしい、地元のお嬢さんである東さんが受付に来てくれた。

この東さんの集客力がすごかった。

僕らの施術を本気でいいと心の底から信頼して、周りの人たちに伝えてくれた。

地の利にも、人の利にも恵まれた

 

 

開院時。
最初に院長と決めたモットーであり、唯一のルール。

 

それは

打てば響く」だった。

 

すぐ反応することちゃんと反応することとにかく反応をすること

お互いの言うことにも、何か感じたことにも、患者さんの所作にも、スルーせず、ちゃんと向き合って反応をし続ける。

 

 

毎日院長とは喧嘩していた。

言いたいことを、本気でぶつけていた。

ぶつけ合うことで、物事が進んだ。

ぶつけても大丈夫という揺るぎない信頼がそこにあった。

 

 

院長は常に一歩先にいた。
院長に肩を並べられるように。
一つ一つ通過点を決めてクリアしていった。

 

スタッフ全員1日50人は患者さんを施術すること。

 

1日売上過去最大を叩き出すこと。

 

1人売上月100万を目指すこと。

 

どんどんクリアしていっても、

『君は雇われしかやったことないから、経営者の気持ちは分からんやろ』この言葉だけはクリア出来なかった。

 

確かに当時は、経営者としての視点は頭では分かっていても経験がなかったから。

背中を追いかけているだけじゃなく、肩を並べたい。

そんな気持ちが膨らんでいった。

 

いくら実績をつんでも、それは院長の庇護のもと。

 

巣立ってみよう

 

そこから僕は山中院を卒業して、院長の庇護から巣立った。

 

そして何年か経ち。ご縁は続いている。

座談会というプロジェクトでも、更に違う形で仕事をさせてもらった。

それはまた別のお話し。

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